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「信頼に応えるために、確かな商品を送ります」 君ケ洞京子

ヤマキイチ商店 君ケ洞京子

君ケ洞幸輝代表取締社長、君ケ洞 剛一専務、君ケ洞 秀綱常務、君ケ洞京子がヤマキイチ商店の泳ぐホタテにかける想い、そしてお客様への感謝の気持ちをお伝えいたします。

最終回となる第4回は妻、母親としてヤマキイチ商店を支えてきた君ケ洞京子のロングインタビューです。

子育てと仕事に必死すぎて、創業当時の記憶がほとんどないんです(笑)。

社長は記憶力がすごくいいんです。何年頃にこういうことがあって、誰に会ってとかそういったことを本当に良く覚えていて感心するのですが、私は色々なことにチャレンジする社長に付いていくのに精一杯だったし、子供を育てるのに必死だったので、当時の記憶がないんですよね(笑)

運転代行業からワカメ販売に移ったけど、社長は最初から海産物の仕事はしたいって言ってました。
平田でコンブが採れるけど、当時はお店で売っている所があまりなかったんです。それでコンブを売ったら面白いんじゃないかって。
代行運転はそのための資金作りって意味もあったと思います。子供も小さかったし、専務が幼稚園に入る頃だったと思います。

ワカメ販売を始めた頃は人を雇う余裕も無かったし、社長と私、ばあちゃんと自分達で全てやってましたよ。

社長は、1番採りワカメとか目立つようなネーミングを自分で考えたり、袋のデザインも自分でやっててね。よく一人でやってたと思います。

私はノンキなところがあるんです(笑)

最初は売れない時もあったと思いますけど、そういうことは私には全然言わなかったですね。私も「売り上げはどうだったの」とか聞かなかったですし。収入とかそんなに気にしなかったしね。私はノンキなところがあるんです(笑)。

独立する時も相談もなかったですし、ラーメン屋さんでも始めるのかなって思ってました(笑)。海産物とか始めるとか思ってなかったんですよね。社長の中では考えてたと思うけど、私たちにはそんなこと言わなかったですよね。
何もわからないままで、手探り状態で、見様見真似で始めた感じでした。

最初は業務筋向けの商売でしたけど、三陸博覧会が通信販売への大きなきっかけのひとつでした。あんなに人が来ると思わなかったし、毎日毎日ホタテ焼いて、今思うと強烈な忙しさでした。三陸博があったから、これからは海産物の通販に力を入れていこうって感じでしたね。

宅配をやったほうがいいって思いついたのも早かったです。
宅急便も今ほど知られていなかったですし。ヤマト運輸さんが事務所の周りをウロウロ歩いてて。なにしてるのかなあと思ったら、この辺に取扱店がないからお宅でしてくれませんかって言われて。宅配事情もそんな感じの頃から通販を始めたんです。

チラシ1枚で注文してくれたお客様がいることに驚きました。

テレビに取り上げられる前にも盛岡でチラシ入れたりしました。おかげさまでチラシでも結構注文がありまして。全国放送のテレビに取り上げられた時には、数日間電話が鳴りっぱなしで、その時に新規のお客さんがとても増えました。

当時、私がとにかく驚いたのはチラシ1枚見ただけで注文があったことです。私はチラシから注文したことがなかったので、会社も有名じゃないし、どんな人がやっているのかもわからないような会社の商品を買ってくれたことに、本当にビックリしてしまって。こんなチラシでも私達を信頼してくれるのかって。ありがたいなって心から感謝しました。

私達を信頼してくれたお礼がしたくて、注文を頂いたお客様に「このパンフレット一枚に寄せてくれた信頼にお応えする商品をお送りいたしました。本当にありがとうございました。」ってひと言だけなんですけど、お手紙を出したんです。何日かしてからそのお客様から、「こういう誠実で心のこもった文章を送っていただいたことが驚きでした」とお礼のお手紙をいただいたんです。お目にかかったこともない方からのお手紙をいただいて、お客様との目には見えない深いつながりをすごく感じました。短いお手紙のやりとりですが、九州のお客様からスイカが届いたりして、不思議なご縁をいただいていると感じています。

震災後にも、心配してくださったお客様からお手紙やお電話をたくさんいただいて、本当に有り難かったです。電話の向こうで泣いていらっしゃる方とか本当に多くて。
お客様と言うより親戚っていうか。お客様の暖かい人柄を感じます。

それだけ当社の商品に惚れ込んでいただいて、しかも、私達の気持ちというかそこまで気遣ってくれる本当にいいお客様達に応援して頂けて、私たちは本当に恵まれているんだなって。幸せだなって感じます。

お客様の励ましに応えるためにも、頑張らなきゃって思いますし、今まで大事にしてきたことをこれからも引き継いでいかなきゃって思います。それにはお客様に喜ばれる商品を、誤魔化さずにお届けすることが大事だと改めて思います。

私自身がチラシ1枚で買うことはないから、信頼してくれたお客様に感謝を伝えたい。

業務向けの商売から一般のお客様を中心にした路線に変わった時、お客様の違いに戸惑うことはなかったです。
法人業務だったら、「いつもの月の締めです」って書類を送ればいいんだろうけど、やっぱり買ってくれた方に商品と納品書だけ送るのってなんか変ですよね?
普通、お菓子1つ買っても挨拶文のひとつも入ってくることを、当たり前に感じていたので、業務筋だからとか一般のお客様だからとかそういう感じではなかったです。

お客様に送らせていただいている手紙にしても、「すごいですね。」って言われることがありますが、特別なことをしているという感覚はないんです。
私自身がチラシ1枚で買うことはないから、私たちを信頼してくれたっていう感謝の気持ちを伝えたいという単純な想いからです。もうひとつは従業員に恵まれたっていうのもありますね。

従業員には器用な人もいて、文章を綺麗に書いてくれたりとか、クリスマスシーズンにはパソコンでツリーの絵を描いたりとか。私には出来ないけど、お願いすると快く「そういうことなら、こういうのはどうですか?」とか自分なりのアイデアを出して率先してやってくれます。それを自分で楽しみながら、お客様にも暖かい声をかけてくれるから感謝しています。

だから私は従業員の方に恵まれてきたと思ってます。ワカメの作業をする時にも、私よりもずっと年上の人が「奥さん奥さん」って、すごく立ててもらって。私は平田育ちでなかったから、今のような海の仕事みたいなことは全然わからなかったし、ましてや実家はサラリーマンでしたので、海の仕事には縁がないって思ってたんですよ。

同じ釜石でも海側と山側は違いますからね。私は器用でもないし、ワカメの袋詰めだって、「こんな感じでいいのかなあ」って思うような、そんな感じでしたし(笑)。
ずっと年上の人達とか、ばあちゃん達の年代の人達に、「こうやんだよ」って教えられて。だからそういう暖かい従業員の方々に恵まれたんだな、育てられたんだなって思います。
従業員さんも素朴で真面目な方ばかりでしたから。それが1番です。

息子達は会社を守るプレッシャーを負担に感じずにやって欲しい。

長男の専務はサラリーマンを辞めて、2007年に入社して、三男の常務は震災後に戻ってきてくれました。

やっぱり引き継ぐ人がいるっていうのは嬉しいなっていうのはありますけど、私たちは一代目なので、もともと何もなかったものから作ってきたわけですからね。例えば、何かあって会社がなくなったとしても、元に戻ってるって感覚になると思うんです。守らなきゃならないって感じはないから、私自身は負担はないんですよね。正直なところ(笑)

「どうしてもここを残さなければ」とか、「先祖のためにも申し訳ない」とかそういう気持ちっていうのはないんですね。私はね(笑)。嫁に来た人間だからサバサバした考えかもしれないけど、ダメになっても、また初めからやればいいみたいな感覚です。
でも息子達は、守っていかなければならないとか、やっていかなきゃならないとか、そういった負担やプレッシャーは、すごく大きいんじゃないかなって思うんです。
そういう面ではね、「それでいいのかなあ」とか、「申し訳ないなあ」って思います(笑)

私は、息子達が自分から進んで自分のためにここの会社を築いてやるってならOKなんです。そういう気持ちで頑張っているなら、好きにやりなさいって言いたいです。どっちかっていうと私はそういうタイプです(笑)
今は本当に頑張ってやってくれてるけど、負担にならなきゃいいなと思って(笑)

2012年に亡くなったばあちゃんも、息子のために一生懸命頑張って、ヤマキイチを有名にさせたいって頑張ってきた人でね。若いときは朝から晩までワカメの吊しとかコンブの吊しとかやってました。最初の頃は人も使ってないから。コツコツとほんとに・・

でも私は、ばあちゃんみたいに朝から晩まであんなに一生懸命働く姿を息子達には見せることはできないなって。そう思いますよ(笑)

親は子供に対して何も出来ないんです。ただ見守ってあげるだけっていうのかな。

息子達同士が心の底からざっくばらんに話し合うことが出来たらいいなって思います。ここをこうしたほうがいいんじゃないかとか言い合えるような。そういう雰囲気っていうのをね、作っていって欲しいなって思います。
それぞれの個性があって、お互い違う部分もあるけど、同じ釜の飯を食べた兄弟ですからね。ぶつかることもあると思うけど、大事な部分は共有してると思ってますからね。

息子達は本当に一生懸命やってくれてるし、遠くから息子達を訪ねて来てくれる方も多いです。
大阪や九州などからも「ホームページ見てきました!」って、本当に遠くからわざわざ来ていただいて。全国各地、そして海外の方にまでヤマキイチ商店の商品や想いを伝えて、応援していただけているんですから。息子達はプレッシャーが大きくてね、本当に大変だろうなあって思う時がありますけど、自信を持って仕事に向かい合ってくれたらいいなと思います。

親は子供に対して何も出来ないんです。ただ見守ってあげるだけっていうのかな。何もしてあげられなくて歯がゆかったりしますけど、自分の道ですからね。その道を歩む背中を見守ってあげることが親の役目なんだと思います。

 

泳ぐホタテの詳細は「泳ぐホタテ 商品紹介」をご覧下さい。

泳ぐホタテの商品詳細はこちらです。

「うちには、新鮮さでどこにも負けないホタテがある」 常務取締役 君ケ洞 秀綱

「うちには、新鮮さでどこにも負けないホタテがある」 常務取締役 君ケ洞 秀綱

君ケ洞幸輝代表取締社長、君ケ洞 剛一専務、君ケ洞 秀綱常務、君ケ洞京子がヤマキイチ商店の泳ぐホタテにかける想い、そしてお客様への感謝の気持ちをお伝えいたします。

第3回は常務取締役 君ケ洞 秀綱のロングインタビューです。

海の幸に関しては兄弟の中でも舌が肥えていると思います。

物心ついた時には家族全員で仕事をしていた感じでした。私も小学校になったら家の手伝いをしていましたね。当時は市場向けの商売でしたので、発泡ケースに氷を詰めたり、氷を砕いたりと小学生でも出来る簡単な手伝いでした。1日1000ケースとか普通でしたので子供ながらに結構忙しかったです(笑)

小学5年生の頃に三陸博が開催され、売り子として手伝いをしていました。家族と従業員総出でホタテを焼きまくりです。お客様から「お手伝いしてえらいねえ」と褒められましたが、家の手伝いをすることは当たり前の感覚でしたから、特別なことをしているって気持ちはなかったです。周りの大人の方がよくしてくれて、お兄さん的な感じで接してくれて。従業員の方々も子供好きな方ばかりでしたので、可愛がられて育ちました。

海の幸は子供の頃から大好きで、自分から率先して食べてました。兄弟の中でもアワビ漁やウニ漁に一番多く行ってました。アワビ漁の時も火を持っていって、採ったアワビをその場で焼いて食べたり、ウニ漁の時はご飯だけ持っていって、採れたウニをその場で割って、ご飯にかけて食べたりとか。一番旨いもの食べてたと思います。
釣りも大好きで3人兄弟の中では一番行っていたと思います。学校に行く前とかにも行ってましたから(笑)
ですので、海の幸に関しては人よりも舌が肥えていると思いますし、美味い不味いの判断は敏感だと思います。

電話対応は子供の頃から鍛えられていました(笑)。

高校を卒業してからは、大学で野球をするために東京へいきました。東京には10年くらいいました。大学を卒業して、東京で働き始めました。その頃は釜石に帰るという気持ちはなかったですが、震災があったその年の4月に仕事をやめて釜石に帰ってきました。
市内は、まだ騒然としていましたし、夜は真っ暗です。夜8時を過ぎて車を走らせていると1台も車とすれ違わないといった状況でした。
今はホタテの水揚げや経理、お客様からの注文対応、ネットショップの運営を主に担当しています。

当店は通信販売が主ですので、お客様から注文のお電話がよくかかってきます。電話での接客が多いので電話応対には特に気をつけています。

電話の対応について特別意識したことはないのですが、小さい頃、家の電話と仕事の電話番号が同じでしたので、色々な方から電話がかかってくるんです。その頃から、きちんとした電話の対応というのを自然に学んだように思います。電話をしながらメモをとるなど、小さい頃から自然にやってました。

東京では、電話営業の仕事をしていたので、そこで一番鍛えられました。野球しかやってこなかったので、仕事に疑問を持つと言うより、社会に出てなんでもやってみたいっていう気持ちが強かったです。その会社は能力主義でしたので、頑張れば頑張っただけ見返りがありましたし、実力主義の会社でしたので、同期入社が20名ほどいたのですが、半年たって残っていたのは自分だけでした(笑)
成績優秀者には会社から高級ホテルでの食事と宿泊がプレゼントされました。自分も何度か賞をいただきました。単純に結果を残せば評価してくれるってところが自分は気に入ってました。白黒はっきり結果が見えるのが自分の性にあってるなと思いました。

パソコンに興味があってスキルを身につけたいと思い、その会社を辞めてソフトウェアサポート窓口の仕事に就きました。仕事は楽だったんですが、物足りなくなり、パソコンスキルをもっと学びたいと思いまして、無線の設定やパソコンの導入などフルサポートを行うサポートセンターで働き始めました。お客様から感謝される仕事でしたので、楽しかったですね。

昔からのお得意様が多いということに甘えてはいけないと思っています。

電話でのご注文の他に、最近ではありがたいことにホームページからのご注文も増えてきました。

ネットは色々な意味で、奥が深いですね。
まず勉強しないとお客様に販売するうえで何が足りないとか、的確な答えが出せないところが難しいです。最低限の知識がないと、何か新しいことを始めたとしても、成功したのか失敗したのか検証のしようもありません。
仮に誰かに託してやってもらったとしても自分が最低限のラインを知らないと絶対いいものが出来上がらないと思います。自分は今はここができないけど、ここはこうして欲しいと指示できるくらいの基礎的な知識や最低限の理解をしていないとうまくいかないと思います。ネットショップについては、ゼロから勉強を始めている状態ですので、まだまだ勉強が必要です。

当社は震災後にネットに力をいれていますが、電話注文がとても多いんです。ネットを始める前は一般的な通販でしたから、電話でのお客様がほとんどです。
電話注文してくれるお客様は、ご注文の用件以外の世間話もよくしてくれます。当社を信頼してくれてるって感じますし、単純に話がしたいってこともあると思います。古くからひいきにしてくれるお客様が多いので、友達みたいな感覚があるのかもしれません。それに昔からのお客様は当社以外のお店を知らないお客様も多いと思うんです。昔からのお客様が多いということに甘えてはいけないと思っています。

今はネットですぐに商品や価格の比較ができます。若年層だけでなく高齢の方でもネットで比較して物を買うということが普通になりつつあります。そう思うとお客様が購入する上での選択肢も広がりますし、考えながらやっていかないと、これから難しいなと思います。ホームページに力を入れてやるってことが全ての解決になるとは思っていません。
単純に商品の良さをアピールするだけではいけないと思います。

ネットに算入してくる企業や店舗もこれから多くなってくると思うんです。実店舗がない人でもどんどん入ってくるじゃないですか。そういったことからも、これから大競争時代になっていくと思うんです。
これからネットで勝負していくためにも、策を講じていかなくては淘汰されてしまいます。 

泳ぐホタテという新鮮さではどこにも負けないホタテがあります。

当社はホタテに関しては他社にない特長を持っています。泳ぐホタテという新鮮さではどこにも負けないホタテがあります。
ネットショップを運営する上で他社にないストロングポイントを持っていることは大きな武器です。これに関しては自分にとって、ラッキーだと思っています。泳ぐホタテという商品を作り出してくれたことに感謝しています。
他社は、どう差別化していくか頭を悩ませている時に、当社はその部分を考えなくていいわけです。それをいかに磨いてお客様にお伝えする方法を考えればいいわけです。

例えばホタテ販売の競合他社が、とても綺麗なデザインで、美味しそうに見せても、絶対に当社のホタテが美味いんです。
あとは見せ方、伝え方の問題だと思います。お客様の心に響くようにお伝えることができれば、当社が一番売れるっていうのはごくごく当たり前のことだと思います。もしそうでないなら、私達のやり方や戦略が間違っているとうことになります。

ネットのように競合が多いということは最終的には価格競争にいってしまうと思うんです。量販店に売っている商品はどこでも売っているので、通常であれば一番安く売ってるお店で買うはずです。そうなると小さい店は大きい店に飲み込まれてしまいます。
だからそういった価格競争に巻き込まれるのではなく、考えに考えて、そこでしか買えない価値というのを見いだしていくことが大事なんじゃないかと思っています。

今ある商品を大事にして、もう一段階掘り下げられる物は掘り下げていく必要があるんじゃないかと思っています。

当社は泳ぐホタテ以外にもワカメ、昆布、イクラ、あわび、ウニを販売しています。ホタテ以外の商品も、他社と比較していい物を取り扱っていると自負していますが、泳ぐホタテほどの強烈なインパクト、突き抜けた強みはまだ出せていないと思っています。ワカメ、コンブ、イクラ、あわび、ウニについては三陸の名産品というブランドもありますし、取り扱っているお店も多いです。そういう商品で商品自体に強みや差別化をもたせていくのは、なかなか難しいものがあると思っています。

ただそこですぐに新商品を考えるのではなく、今ある商品を大事にして、もう一段階掘り下げられる物は掘り下げていく必要があるんじゃないかと思っています。
時代のニーズにあわせて、内容量やパッケージ、セット品など色々工夫したり、やれることはまだまだたくさんあるんじゃないかとも思っています。

ホタテ以外の商品は、今よりももっと磨きをかけるなり、特長をもっとアピールするなりしていく必要があると思います。どの商品にも、いい時期悪い時期があります。時代の流れにあうっていうか。自分達の力ではつくれない社会の流れというものがあると思うんです。その流れが来たときに、慌てるのではなく、しっかり準備しておいて流れに乗ることが出来るような準備が必要です。また他がやっていない新たな取り組みであるとか、マーケティングの部分で上回るというか。いたちごっこじゃないですけど、うまくいったらいったで、やり方はすぐに真似されると思うんです。表面だけ真似されてたとしても、その肝の部分を私たちがしっかり構築してさえいれば、形を変えてまた新しいことにチャレンジできます。真似されたり失敗したり、そういったことを糧にして、何度でも繰り返して行くことが大事だと思います。もしかしたらそれが本当のマーケティングなのかもしれないって思います。

泳ぐホタテの詳しい内容・ご注文は「泳ぐホタテ 商品紹介」をご覧下さい。

泳ぐホタテの商品詳細はこちらです。

「ホタテ屋は自分の天職であり、使命」 専務取締役 君ケ洞 剛一

ヤマキイチ商店 専務取締役 君ケ洞 剛一

君ケ洞幸輝代表取締社長、君ケ洞 剛一専務、君ケ洞 秀綱常務、君ケ洞京子がヤマキイチ商店の泳ぐホタテにかける想い、そしてお客様への感謝の気持ちをお伝えいたします。

第2回は専務取締役 君ケ洞 剛一のロングインタビューです。

子供心に褒められたいなと思いながら手伝いをしていました(笑)

2001年に大学卒業後、百貨店に勤務して、2007年に家業を継ぐべくヤマキイチ商店に入社しました。長男ですので、家業を継ぐことは決めていましたが、一度は地元を離れて外の世界に触れた方がいいと思っていました。
子供の頃から家業を手伝っていましたので、入社当時は仕事への戸惑いや迷いはなかったです。
子供の頃は親父の顔を伺いながらの手伝いでしたが、子供心に褒められたいなとか思いながら手伝いをしていました(笑)。中学時代は自分がどういう流れで仕事をすればスムーズに業務が出来るだろうとか、ちょっとでも親父の手助けになればいいなと考えながら仕事をしていました。親父は子供でも容赦なくとにかく厳しかったです(笑)。

お客様から喜んでもらえるっていうのが一番の醍醐味ですよね。

百貨店勤務時代は、商売柄売上げ第一です。数字を求められる仕事でした。いいか悪いかという問題ではなく、企業であればそれは当然のことです。
百貨店勤務の後、家業を継いでお客様と接したり、話をしたりすると自分が本能的に嬉しいって感じるのは、お客様に喜んで貰うのが一番嬉しいんですよね。そのことを改めて感じました。
お客様に喜んでもらったり感謝されたりすると、たまらない気持ちになるんですよ。だからこそ、商品には妥協無くやらないといけませんし、そこが根本です。そこを大事にしていると自然とお客様が応援してくれますし、信頼してくれます。
やっぱり当社はお客様に育てていただいているんだなって思います。お客様から喜んでもらえるっていうのが一番の醍醐味ですよね。

震災をきっかけに始めたブログ。たくさんの励ましの声とご縁をいただきました。

震災があってから、お客様からの無償の愛を感じます。本当に感謝しています。お手紙やお電話で励ましの声をたくさんいただきました。本当にありがたかったです。
震災でイケスや加工場、自宅を流されました。
親父は絶対に再建すると言っていましたし、私もそのつもりでした。
ただ、イケスや加工場の再建、そしてホタテが震災前の状態になるのか全く見えていない状況でしたので、2,3年は商売が出来なくなるとは考えていました。でもまた、ゼロからやればいいですし、私が震災前からも取り組んでいた漁師さん達や地域全体が潤う仕組み作りを、しっかり腰を据えてやっていく時間にあてようと考えていました。だから仕事に対する不安は全くありませんでした。

お客様に元気に頑張ってますということを少しでも伝えたいという想いから、2011年6月からブログを始めました(あるべき姿に|三陸釜石泳ぐホタテ屋の二代目)。ブログは始めてでしたので、試行錯誤でしたが、毎日更新することを目標に今まで休むことなく毎日ブログを書いています。飽きっぽい自分が毎日やってこれたことを褒めてあげたいです。誰も褒めてくれませんので(笑)。

暑苦しいブログだと友人からは言われていますが(笑)、ブログのおかげで様々な方との出会いがありました。釜石の若手経営者を始め、全国各地の方が応援メッセージや励ましのお手紙をいただきました。ネットの力を実感しましたし、こんなにも暖かい方々が全国各地にいらっしゃるのかと思うと感謝の気持ちでいっぱいです。

結局は人と人とのご縁やつながりが一番だと思いますし、この出会いは私の宝です。皆様の声にお応えできることは、いい商品をお届けすることだけだと思っています。 

ヤマキイチ商店だからこそ出来ることを突き詰めていきたい。

当社は生産側と消費者側を結ぶ立ち位置にいます。一般的には水産卸会社になるわけですが、商品を右から左に流すのではなく、生産者である漁師さん達、消費者であるお客様に対して、責任があるということを強く心にとめておかないといけません。

漁師さんに対しては、最高のホタテを育ててくれた労力に見合う対価を、そしてお客様には、最高のホタテで笑顔になっていただくこと。当社は大手企業に比べると、微力かもしれませんが、ヤマキイチ商店だからこそ出来ることがあると信じています。

今は1次産業が2次も3次も手がけていく6次産業が注目されていて成功事例も出てきていますが、本来であれば一次産業の方が6次産業をする必要はないわけです。
消費者側は自分達が食べているものが誰が作ったものなのか、また安心して食べていいものなのかを確認したいというニーズがあるわけですよね。また生産者側は自分達が苦労して作ったものが市場で正当に評価され、それに見合う収入が確保できればいいわけです。

しかし現状では、消費者は本当に安心して食べていいものなのかが見えず、また生産者は安く買いたたかれ、苦労に見合う収入を確保できていない現状があるわけです。そういった負の部分からやむにやまれず6次産業というものに手を出すのが、本当の意味での6次産業と言えるのでしょうか。

例えば、当社が付き合っている漁師さん達は本当に手間暇かけてホタテを育てているんです。その方達が加工して、販売まで手をかける時間はないわけです。逆もしかりで当社がホタテを選別して、いいホタテをお客様にお届けしている中で、生産側に入っていったとしたら、どちらかが疎かになってしまうのは目に見えています。

極論で例えると、最高級のホタテが海からあがり、漁師から直送されたホタテを家庭で料理するというのもひとつの形だと思います。
6次産業の視点で見ると2次加工して、付加価値つけて販売して、最後は料理人として包丁を握るんですかって話になってしまいます。
ホタテを生産する人、加工する人、販売する人、料理をする人など、それぞれの道を極めた人達がいて、その道のプロがうまく協力していくことで、お客様が最高に喜んでいただけるものが提供できると思うのです。

そうなるためには、脇目を振らずに各分野で突き抜けていくってことが大事なのではないかと思いますし、6次産業化を考える前に今の仕組みのうまくいっていない部分を精査、改善していき、各分野のプロが本領を発揮できるような状況になって始めて、1次、2次、3次の6次産業をやるよりも所得はあがると私は思ってます。

ホタテ屋は私の転職。生産者と消費者のつなぎ役の使命があります。

自分がやっていることは天職だと思っていますし、各分野のプロが天職だと胸をはって言えるような環境をつくっていきたいです。

そのためには、漁師さん達もお客様に商品がどう届き、どう食べられているのかということを知ることが大事だと思うんです。当社は生産者と消費者をつなぐ位置にいます。漁師さんのこともわかるし、お客様のこともわかります。私たちは販売という役目だけでなく、生産者と消費者のつなぎ役として働きかけをしていく義務というか使命があると考えています。

岩手県の主産業は農業、林業、水産業の一次産業です。
しかし一次産業の方々の苦労が報われていないというか。親の背中を見て、この仕事には就きたくないという環境は未来がないと思うのです。一次産業が誇りをもって仕事をしていくには、自分がやっている仕事、使命感が大切だと思います。

私たちもお客様から気付かされることがたくさんあります。漁師さんも同じだと思います。自分達の仕事が世の中のためにどう役に立っているのか。そこがわかれば、もっと楽しんで、誇りを持って仕事ができます。結果的に自然と物作りに励む体制になっていくと思うんです。

ただ現状では、ホタテを育てても市場で買いたたかれるから、単に水揚げだけしていればいいとか、そういった仕組みになっている部分もあるわけです。
それは「意識改革が大事!」って言って仕組みを変えればいいとか言われますし、それが一番なんでしょうけど、実はそれが一番難しいと思うんです。

やらされているうちは何をやってもダメなんです。それはどの業種でも一緒だと思います。
あるきっかけがあって、自ら気付いて自分から率先してやるような大きなきっかけが人間には必要だと思うんです。そのきっかけが消費者と漁師さんの距離をもっと近くにすること、お客様が喜んでくれる姿をイメージできるような体制を整えること。それが出来るのが私たちだと思っています。そういった形にしていきたいと考えています。

関わっているもの同士が協力していかないと、意識改革って難しい思うんです。

そういうことを考えながら、仕事をしていると色々なことが見えてきますし、気づきも多くなります。例えば漁師さんやその家族をレストランに連れて行って、自分達が育てたホタテがどう調理されているのかとか体験することができたら、意識も変わると思いますし、家族も誇りに思うはずです。それは一次産業の方が新しい気づきを得るにはどうすればいいんだろうとか、どうやった所得向上に結びつくんだろうといったことを常に頭の中に意識しておくと、誰かに出会った時やそう言う場に遭遇した時に、「こういうことをしたら漁師さんが喜ぶんじゃないか」ってアイデアが浮かんでくるんです。

意識改革も大事ですけど、それを漁師さん自身が考えなさいというのは傲慢な考えだと思います。関わっているもの同士が協力していかないと、意識改革って難しいと思うんです。

それにはそれぞれが仕事に対して使命感を持つことだと思います。私たちは生かされているわけですから。使命感を持って、誰かのために役に立ちたいってことを自覚し、実感して行動していけば誇りに繋がります。そうすることで、関わっている全ての人達にありがとうっていう感謝の気持ちが芽生えてくると思うんです。

漁師さん達にいいホタテをつくっていただくことが絶対条件。

単に水揚げして、市場に卸してだけという感じだと消費者の顔が見えるはずがありません。食卓に並んで、笑顔になっている顔がイメージできないはずです。より大きいホタテを、より美味しいものを届けたいっていう使命感が当社にはあります。

当社と同じ使命感をもって、仕事に取り組んでいる漁師や浜のホタテは他とはあきらかに違います。そういった浜があることは幸せですが、現状に甘えるとホタテの品質に影響がでます。ホタテは正直です。

私たちも現状に甘えることは許されません。お客様の好意に甘えて、対応を疎かにしていたら、それは裏切り行為です。お客様も正直です。
私たちの使命はお客様に心から喜んでもらうことです。それを突き詰めていくと、やっぱり一次産業の方々、漁師さん達にいいホタテをつくっていただくことが絶対条件なんです。

漁師さんはいい物を作る。そこで苦労に見合った所得があれば本当の意味での役割分担になるんです。そうなれば、漁師さんは常にいい物を作ろうと頑張れる。誇りを持って仕事をする親の背中を見ながら育った子供は後を継ごうと考える。家族も誇りを持って生活することができる。大事な海や自然を守ろうとする。そういったことがそこかしこで生まれることで、ふるさとが元気になる。そう考えると一次産業は地域発展の核だと思うのです。だからそういう環境が整ってくれば最高だと思います。

搾取される構造を変えていくのは「誇り」を持つこと。

そうした考えに辿り着いたのは、両親や亡くなったばあちゃんを含めた家族のおかげですし、お客様、そして周りにいる方々が気付かせてくれたと思っています。
最近、近江商人の「三方良し」という格言を聞いて、その通りだなって感じます。
欧米だと買い手と売り手のWIN-WINですけど三方良しは、買い手と売り手に加えて、「世間良し」の3つになります。ある意味日本的な素晴らしい考えだなと思います。
自分達だけが良くなると考えが狭くなりますし、自分の利益のみを追求すると、最終的には自分が苦しくなってくるはずです。だからみんなに感謝されながら、仕事に向き合ったほうが気持ちいいですしね。

岩手県をはじめとした東北地方は、震災前から経済的にも産業的にも厳しい状況でした。震災があろうがなかろうが、搾取される構造が変わらなければ地方は衰退していくばかりです。その構造を変える大きな力は「誇り」だと思います。震災をきっかけにふるさとを見つめ直す人が増えてきたように感じます。

自分の仕事にプライドを持ったり、自分の地域に感謝する気持ちが大切です。感謝することが誇りを生むことになりますからね。
この景観とかすごく素晴らしいところに生まれたんだなって思いますし、周りの人は暖かいですしね。やっぱりそういう当たり前だと思っていたことに感謝していくことが大事だと思います。

若い方は地元を出る人が多いですけど、離れてわかる良さもありますしね。外にいる方からの暖かい声や励ましは新しい気づきを与えてくれます。
ここにずっと住んでる人だって、「これが当たり前の環境じゃない、恵まれているんだ」ということがわかると思うんです。

漁師さんやその家族の皆さんには、自分が作ったホタテが誰かの喜びに繋がっていることを直接感じて欲しい。

人はないものねだりをすることが多いじゃないですか。自分にはあれがない、これがないとか。そうではなくて、自分にあるものを大切にしていくことが必要かなって思います。
それは自分自身がブランドだということに気付きます。何度も言いますが、それは、この場所で生まれ育ったことへの誇りの気持ちなんです。
釜石市民だったり沿岸に住んでる人だったり、岩手県人だったり、東北人だったり、それがブランドっていうか。今でもブランドになってると思うんですけど。すごく謙虚だし、真面目だし、愚直だし。そういう人が多いですしね。その気質は守りつつ、そこに住むっていうことは経済的にも精神的にも豊かになっていかないといけないって感じます。

新しい取組みとして素敵な飲食店の皆様と繋がる機会を頂きました。素敵な空間や素晴らしい料理、シェフ、スタッフ皆様のおもてなしなどを体験することができました。私が体験した素晴らしい時間を、第一次産業者の方にも体験して頂きたいと思うようになりました。
例えば当店がホタテを仕入れさせて頂いている浜の漁師さん家族と一緒に訪れたいという想いが強くなっております。

名店と名高いお店で当店のホタテが使われるのは、とても嬉しいです。一流の料理人が認めてくれたのですから。当店のホタテというよりは釜石、そして岩手の生産者が誇りに思っていいと思います。しかしこれは私達の力だけではないんです。つないでくれた方々、一生懸命ホタテを育ててくれた漁師さん、そしてこれまで私たちを応援してくれ、信頼していただいたお客様ひとりひとりのおかげです。全ての方に感謝しています。

漁師さんやその家族の皆さんには、自分が作ったホタテが誰かの喜びに繋がっていることを直接感じて欲しいのです。そして漁師さんのご家族にも一緒に感じて欲しいのです。そのことが仕事をする上での大きな誇りになると思っております。そうした積み重ねが、地域に誇りと愛着を持てるようになることで、次世代を担う子ども達の大きな力になると信じています。

泳ぐホタテの詳しい内容・ご注文は「泳ぐホタテ 商品紹介」をご覧下さい。

泳ぐホタテの商品詳細はこちらです。

「お客さまにとって、一期一会の泳ぐホタテだからこそ」 代表取締社長 君ケ洞幸輝

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君ケ洞幸輝代表取締社長、君ケ洞 剛一専務、君ケ洞 秀綱常務、君ケ洞京子がヤマキイチ商店の泳ぐホタテにかける想い、そしてお客様への感謝の気持ちをお伝えいたします。

第1回は当社 代表取締社長で創業者でもある君ケ洞幸輝のロングインタビューです。

スタートは運転代行業。そしてワカメ販売へ転身。

ヤマキイチ商店は1989年に創業し会社設立は1991年です。
ヤマキイチ商店の設立前は、務めていた会社を辞め、運転代行会社を経営していました。
3人の子ども達もまだ小さく、今の常務がまだ赤ん坊だった頃です。当時は新日鉄全盛時代で釜石の人口も6万人と、とても賑やかな街でした。飲み屋も多くて、新日鉄の社員もたくさんいて、客層もいいだろうということで、当時出始めだった運転代行業を始めました。釜石の運転代行は私の所くらいでした。

代行業の経営は順調で当時は車も10台以上、社員も15人ほどいて、お客さんからの評判もよかったです。代行運賃は他の業者と比べて高かったですが、リピーターが多かったです。それは接客をとても大事にしていて、社員教育にも力をいれていたおかげだと思っています。

運転代行業は順調でしたが、代行業はご存じの通り夜の仕事です。生活サイクルも昼夜逆転でしたし、新日鉄の高炉休止に伴い、釜石での代行業がこれからも順調に続くわけがないと危機感を感じていました。そこで代行業ではなく、新しいビジネスを考えていました。
そこで頭に浮かんだのがワカメの販売でした。
釜石は鉄の街でしたが、本来はワカメやコンブ、新鮮な海産物がとれる海の街です。
生まれ育った海の豊かさや海産物の良さを知っていましたし、市場に流通しているのは塩蔵ワカメが主流です。家族に手伝ってもらえれば加工もなんとかなりそうですし、塩蔵なので保管や品質も安定させることができます。新規参入しやすい商売だと思いました。

結果のでない毎日。釜石から日本海側へ代行車で営業の日々。

代行業をやりながらワカメ販売に乗り出しました。
最初は釜石周辺でワカメを売っていましたが、岩手県沿岸はワカメが特産品です。スーパーやお土産屋には競合他社のワカメがすでに入っています。新参者の商品を取り扱ってくれるような店はありませんでした。そこで目を付けたのが日本海側でした。秋田や山形などの日本海側であれば、販路があるのではないかという読みでした。

運転代行の車にワカメを満載して、代行の仕事が終わった後に日本海側まで販路開拓のために週に何度も足を運びました。夜は代行、昼はワカメ販売と寝る暇がなかったです(笑)。
体力的にもきつかったですが、何より辛かったのはワカメが全く売れなかったことです。
同じ東北だから、ワカメも食べるはずという思い込みで営業にいきましたが、日本海側には日常的にワカメを食べるという文化がなかったんです。日本海側には日本海独自の海藻食文化があり、それで十分。わざわざワカメを好んで食べるような感じではありませんでした。
秋田の大手スーパーの担当者に何度も足を運んだが、全然ダメでした。

ワカメを家庭で使う文化がないのであれば、贈答用としてのワカメを提案しました。包装資材も自分で用意し、箱も綺麗にして、ワカメも小分けにして贈り物としてワカメを使ってもらえるように色々工夫してみましたが、全く売れませんでした。スーパーでは取り扱ってくれたんですが、全く売れなかったので、食文化の壁は厚いと身にしみました。
これではダメだと思いました。このまま日本海側で商売をしても時間の無駄。ワカメでは光が全く見えないと。

釜石→東京→新潟→秋田。そして花巻での不思議な縁に助けられる。

壁にぶちあたっていた頃、秋田からの帰りに盛岡の市場に寄ってみたんです。そこで盛岡から日本各地へ海産物が運ばれる様子を見て、改めて物流の基本を学んだんです。
こういう市場に物が集められて、東京や全国の店頭に並ぶんだと。
そこでトラックにワカメを満載して東京の築地市場に向かいました。しかし門前払いみたいな感じで全然取り扱ってくれなかったです。そのまま釜石に帰るわけにもいきません。トラックには家内や母が夜なべして加工したワカメが売れずに残っているからです。
日本海側のスーパーやお土産屋にワカメを営業してみようと車を走らせました。

しかし、新潟でだめ、山形でだめ、秋田でだめ。ワカメを置いてくれるところなんてなかったです。飛び込み営業みたいなもんでしたから、断られ続けた車中で心が折れそうになりました。

秋田から釜石まで1日あれば着くんですが、何も売れてなかったから、そのまま帰れませんでした。気持ちを整理するために花巻温泉の旅館に泊まってトラックに満載しているワカメをどうしようかと頭を巡らせていました。花巻にも市場があったので翌日は市場に行こうと決めていました。どんな市場なのか興味があったのと、新しい売り手がいるかもしれないと考えていました。

早朝に市場に着いて、トラックの荷台からワカメを降ろしているときに、たまたま隣に駐車していた方から声を掛けられました。その方はスーパーのバイヤーだったんです。
「何積んでんの?」って聞かれて「釜石のワカメです」と。バイヤーさんがワカメを見て、「これはいいワカメだ」って言ってくれて全部買ってくれました。東京まで行って売れなくて日本海側でも売れなくて、たまたま立ち寄った花巻で全部売れて。不思議な縁だなと思いました。

その縁がきっかけでワカメが売れるようになったんですが、それだとどうしようもないとも感じていました。競合が多いですし、先は見えていましたから。新しい何かが必要だと感じていました。

いいホタテが市場に流通していない! だったら俺がやる。

各地の市場巡りをしていて気がついたことがありました。それは市場がホタテで溢れかえっていたことです。北海道産、青森産、岩手産、宮城産とものすごい数のホタテでした。
しかし、全然いいホタテではなかった。
帆立の知識があったわけではなかったけど、子供の頃から新鮮なホタテを食べていた自分はホタテ本来の美味しさを知っていました。
どこの市場でもたくさんの帆立が並んでいるけど活きの良さが全くない。自分が注目したのはまず鮮度。どのホタテも殻が開いたホタテばかりで、「この程度のホタテでよく流通してんな」と思ったんです。

もし活きた状態でホタテを市場に出荷することができたら、商機があるんじゃないかと考えました。活きたホタテはどこの市場にもありませんでしたから。

そこで漁師や組合と話をして、どうすれば活きのいい状態で流通にのせることができるのか話し合いをしました。いろいろ試作をくりかえして1日だけ活きた状態にすることはできた。

浜から積んで、すぐに築地に運ぶと活きた状態で市場に届けることができる。実際に築地に活きた状態でもっていったら、すごい驚かれました。こんないい状態でホタテが届くのかと。見たことないっていわれて、すごく喜ばれました。築地だけじゃなく北関東の市場にも、持っていったら、みんなビックリしていました。いろんなホタテがはいってきてるけど、こんなに鮮度がいい帆立が入ってきたことは今までにないって行く先々でいわれました。帆立は市場にあふれていたけど、うちの帆立はその中でも群を抜いていた。大きさ云々よりも鮮度が良かったので、高くても売れに売れました。うちの帆立は翌日でも鮮度がいい状態だったので市場関係者に喜ばれました。

1日だけでしたが活きた状態の帆立をキープして市場に届けることで、高値で買ってくれて、経営も安定していました。しかし一方で懸念材料もありました。市場がだんだんと元気がなくなってきていたということです。

市場から通販への転換を決めた3つの理由。

原因はわかりませんが、市場に人が来なくなってきてましたね。このままでは、いずれ市場に陰りがくるぞって考えてました。水産物も輸入品が増えたし、消費者側も安ければいいって人も増えてきました。そういう時代の背景もあるんしょうが、徐々に市場向けとして販売する意味や価値っていうのもウエイトが下がってきたと感じていました。何か次の手を打つ必要がありました。そこで考えたのが一般消費者向けの通販事業です。

市場向けの商売から一般消費者向けへの方針転換を決めたきっかけは3つあります。

通販事業のイベント講演に参加したこと、次に宅配、そして1992年(平成4年)に開催された「三陸・海の博覧会」の3つです。

1つめは通販事業のイベント講演に参加したことですが、ワカメが全然売れていない時に東京の池袋サンシャインで開催されていた見本市に出展しました。そこでもワカメは売れなかったんですが(笑)、イベント会場で富士通の方が通販のことについて講演をしていました。これからは通販だと。今後通販事業は劇的に伸びるという話でした。
講演を聴いていた時に茨城県で通販をしている経営者と知り合いました。そこの会社はすでに通販で何億も売上げをあげているという話を聞いて、後日その社長に話を聞きにいきました。その社長はとても懐の広い方で、通販のノウハウを教えてくれました。ちょうど郵便局の「ふるさと小包便」がスタートした頃です。その会社は顧客管理もしっかりしていて、上客を数十人紹介してくれました。今なら個人情報保護法で問題があったと思いますが、当時は通販事業も始まったばかりでしたので。紹介していただいた数十人のお客様向けに、ワカメの通販を始めました。お客様にも大変好評で通販事業の面白さと手応えを感じました。

2つめは宅配です。郵便局をはじめ、ヤマト、佐川、日通が宅配事業の本格展開をスタートさせた頃です。地方からでも2~3日あれば全国に商品を届けることができる流通が整備されてきました。

3つめは1992年(平成4年)に開催された「三陸・海の博覧会」です。釜石会場でイベント参加者向けにホタテの浜焼きを出展していました。浜焼きはとても好評で連日長蛇の列でした。子ども達にも手伝ってもらって、イベント期間中は腕が痛くなるほどでした。
浜焼きを召し上がっていただいたお客様から口々に「この帆立は地方発送してもらえるのですか?」と質問がありました。

泳ぐホタテと向き合う日々。市場でも別格扱いのホタテに。

宅配を使って、全国のお客様にホタテを届けることができればと考えていました。
ワカメの通販で個人向け商売の面白さ、そして通販市場の可能性を感じていましたが、ホタテの通販となると一抹も二抹も不安がありました。それは活きた状態が24時間しかもたないということです。市場の場合は荷受け時間が決まっているので計算することができますが、クール便や時間指定などもなかった時代です。お客さんや宅配会社の都合で受取時間がバラバラ。朝に受け取る人もいれば夜に受け取る人もいますし、東京以西に送るにはどう見積もっても2日以上活かしておく必要があります。

ホタテの取扱いを始めた頃は市場卸で商売は安定していましたが、その状態に満足してたのは1~2年の間だけでした。これからは個人向け通販だと考え始めて、最初は48時間を目標に試行錯誤して、結果的に60時間まで活きた状態で届けることができるようになりました。

テストもかねて最初はまず魚市場向けに出荷しました。市場の人に「活きた状態で60時間キープします」と。市場関係者は驚いてましたね。48時間は確実に活きた状態です。箱が壊れてたっていうクレームはありましたが、ホタテが死んでたっていうクレームは1件もありませんでした。「これは画期的だ」と評価を受けました。
値も高く付き、ヤマキイチ商店のホタテは他とは違うという評価でした。他のホタテは数が多ければ安く、少なければ高くといった値付けでしたが、うちのホタテはそういうのとは関係なく、指し値での取引。市場では別格扱いでしたし、信頼もありました。
これで個人向けでもいけると自信を持ちました。

泳ぐホタテ通信販売への挑戦。

市場向けの商売で安定した売上げがあったにも関わらず、個人向けにシフトするには市場とは違うリスクを考えないといけません。

100%の状態で送ることができないとクレームも出るだろうし、信頼を損なうのは会社として大きなマイナスです。遠方の知り合いにホタテを送ったりして、問題がないか実験を繰り返しました。お客様に確かなホタテを送るために、試行錯誤してましたよ。
こちら側としたら99%の確率で送ることができたとしても、お客様からしたら泳ぐホタテとの出会いは一期一会です。1%のお客さまにちゃんとした商品が届かないなら、個人向け通販はやるべきではないと考えていました。

氷敷きのホタテは「鮮度がいいホタテ」として一般的にギフト用として流通していました。市場関係者も自分のギフト用途として送ってたくらいですから。市場のプロ達も1番鮮度のいいホタテは「氷敷きの鮮ホタテ」という認識でそれでよしとしてたし、それが普通だったんです。鮮ホタテが1番生きがいいみたいな感じでした。当社のように海水が入った状態で活きたまま送るなんて、どこもやっていませんでしたし、市場も世間もそういう発想がなかったんです。技術的にも難しいし、活きたホタテを流通させることの価値に誰も気付いていなかったんです。

個人向け通販の前に、スーパーや生協、デパートで贈答用として取扱いを始めました。徐々に個人向け通販も始めてましたが、通信販売ビジネスへの方針転換を決めた大きなきっかけは三陸博です。当時はホタテ8枚入り送料込みで3,800円で販売していました。お客さんからの反響もすごくて、一般的なホタテの価格より、あきらかに高いホタテですが、発送して欲しいという注文が多かったんです。

その後、テレビにも取り上げられて、多くのお客様から注文をいただきました。
三陸博のお客様、池袋の講演で聞いた今後の通販市場の大きな可能性、そして宅配業の一般化などがピタっとあわさって、頭の中でビジネスとしてやっていけると確信しました。

当時は市場と通販とどっちにウエイトをおこうかと悩んでいましたが、個人向けに本物のホタテを届けることに注力していこうと決めたんです。活きたホタテという鮮度だけではなく、貝柱の大きさや中身、サービスの向上などお客様に信頼してもらうためにいいものを提供していこうと方針転換をしました。

泳ぐホタテのネーミングで勝負

活きたホタテを市場に卸していた頃から「泳ぐホタテ」というネーミングでした。私が考えましたが、マンガみたいなネーミングで大丈夫かなと思ってました(笑)。
市場関係者からは、わかりやすいって評価でしたし、泳ぐホタテにして正解だったと思いました。時代によって活ホタテにした時期もありましたが、今は泳ぐホタテで登録商標も取得しました。泳ぐホタテのブランドを広めていったのは息子達ですが、商売をするなかで、ネーミングは大事だと感じています。

ネーミングだけでなく、商売をするうえで挑戦することはとても大事です。いいアイデアでも時間が経つと迷いがでます。考えが変わらないうちに行動することが大事。
例えば、当社の屋根にはでっかく「泳ぐホタテ」と書いています。色々言われましたが、すぐに書かせました(笑)。国道のところにも「泳ぐホタテ直売所」の看板を建てました。震災後に観光客も少ないのに意味があるのかとか言われたりもしましたが、人が少なくなろうが、なんだろうが直売所もないような店はダメだと思ってましたから。
今は活ホタテとか鮮ホタテって目にするようになりましたが、泳ぐホタテって珍しいのか、看板を見たお客様が「泳ぐホタテみせてください」って訪れてくれます。

お客様には三陸の旬を味わって欲しい。

当社はおかげさまでリピーターのお客様がとても多いです。
イベントやメディア露出により、ヤマキイチ商店を知ってくれたお客様といかにつながるかがとても重要です。いい商品を提供するということが最も大切ですが、お客様との距離を近くするということも重要です。そして三陸の海の幸の美味しさを知っていただくこと。
ホタテやワカメ、イクラにも旬があります。お客様にはその旬を味わってほしいんです。

震災支援で買ってもらうような商売はするな。

今の時代どの業界も利益重視だったり、安い商品がもてはやされたり、産地偽装など食に関わる様々な問題が取り上げられています。そういうことは絶対ダメだと思うんです。
そういったことをしていたら必ず滅びます。

自分達のノウハウで創りだした三陸で採れた1番いい品に自信を持って、そのやり方やいいものを提供するってことだけは変えるなと息子達には言っています。
震災後の2012年の年末のお歳暮は、震災の影響がどう影響するのか正直心配でしたが、沢山のお客様に注文をいただきました。自分達がこれまで20年以上、いい商品を提供するということをぶれずにやってきたことがお客様の届いていたんだ、間違っていなかったんだと感じました。

震災後にお客様から心配や励ましのお手紙や電話をたくさん頂戴しました。本当にありがたかったですし、とても励まされました。震災後はホタテがどうなるか全く見通しがたっていませんでしたし、正直不安でしたので、お客様からの励ましはありがたかったです。

一方で震災支援のお話しもたくさん頂戴しましたが、専務や常務には震災支援を掲げるようなことをするなら、商売を辞めろと言っています。

それよりも、震災前と同じように活きのいいホタテをお客様のもとに送り届ける体制を整備し、守っていかないとなりません。
お客様に「今年もいいものをありがとう」と言われれると、仕事冥利に尽きます。

テレビショッピングや広告代理店からホタテを多く売るための話があったりしますが、数を多くさばくことによって、いい品を提供できなくなるなら、やる意味がありません。それはお客様にとって失礼な商売です。それをしたことにより、味やサービスが落ちて結果的にお客様が離れていった例をたくさん目の当たりにしてきました。

大事なことは時代にあわせること、そしていい商品をお届けすること。

時代は常に動いています。常にアンテナをはって時代の動きを感じることが大事です。
例えば、昔は携帯電話はなかったです。生活も質素で外食や旅行も今ほど多くはなかったです。消費者の行動や金の使い方も昔と今は全然違います。今の時代はギフトにしても色々選択肢がありますし、インターネットで何でも買える時代です。

当社はギフト注文がほとんどですが、日本の文化であるお中元やお歳暮がこれからも同じように続くとは思っていません。年賀状を出す人も減っていますし、若い方が上司にお歳暮を贈るということも昔より少ないはずです。贈り物で日頃の感謝を伝えるっていう日本の文化や、人と人のつながりが薄くなっていることを感じています。
お中元とお歳暮の売上げをいつまでもあてにしてるような商売がずっと続くと思ってたらどこかでつまずきます。

商品やお客様との接し方など時代にあわせて、常に軌道修正をしていくこと、そしていいものをお客さんに提供するってことだけはぶれずにやっていかなくてはなりません。
お客様は正直です。中途半端な商品を出したら、離れていくに決まっています。

漁師となれ合いの関係ではなく切磋琢磨することでいい商品が生まれる。

そのことは漁師も同じです。いいホタテを育ててくれるから、うちは1番高値で買います。それで漁師は潤いますし、やる気も出ます。しかしそこで甘えていますと確実にホタテの品質に影響が出ます。ホタテは正直なんです(笑)

一般的に水産卸会社というのは、生産側と消費者側をつなぐイメージだと思いますが当社の場合、漁師や組合との関係はとても近いです。
ヤマキイチ商店の創業当初から下積みしながら、漁協や漁師とお互いに意見をぶつけてきました。

当社と漁師は対等な関係です。お互い切磋琢磨しないといいホタテはできません。いくらそれまでの付き合いがあったとしても、いいホタテがあがらなくなったら、その浜との付き合いはやめます。なれ合いの関係でいいホタテが出来るほど甘くはないのです。

例えば、当社の利益をあげるためにホタテを安く買ったりしたら、それは漁師に対する裏切りです。漁師が高値に甘えて、いいホタテを育てる事を疎かにしたら、それは当社とお客様への裏切りです。そういうことをやってはいけないのです。

当社には数多くのお客様がいらっしゃいます。漁師が採ってくれたホタテを喜んでくれる方が全国にこんなにもいるということを漁師にも伝えていかなくてなりません。それも当社の使命だと思っています。「あのお客様達を裏切れない」ということを漁師が感じたら、ホタテに対して生半可な気持ちにはなれないからです。

震災後、漁師の数が減ってしまいましたが、浜に魅力があって、いいホタテをとることができて、当社が高値で買い取る。そういったプラスの循環があり、高見を目指すような夢がある商売じゃないと後継者も育ちません。だから漁師も努力する必要がありますし、甘えてたらダメなんです。それはそっくりそのまま当社にも当てはまります。お互いがお互いを尊重し、信頼できる関係性を保つことが重要です。

全力でのチャレンジは失敗しても大きな力になる。

数多く売れば商売は成功ということではありません。手を広げすぎるとお客様との距離が遠くなります。自分達がお客さんを感じられるような目の届く範囲の中でやっていくっていうのが1番だと考えています。

今は時代が動いている変革の時期です。流れを読むのに大変な時代です。しかし歴史をひもとけば、時代は巡り巡ってきます。新しいことにチャレンジして失敗するかもしれません。その時、日の目は見えなかったとしても自分が本気でチャレンジしたことであれば、時代がマッチする時が絶対にきます。大事なポリシーは曲げないで、自分達がどういう戦略をもってやっていくかを考え行動することが大切です。

右も左もわからない状態でワカメ販売を始めて、失敗しながらホタテの販売に辿り着きました。ワカメで失敗しなかったらホタテに辿り着かなかったと思いますし、失敗がなかったら逆に遠回りしていたように思います。

不思議なもので全力でチャレンジして失敗したことは必ず力になります。いつかその失敗が役にたつことが必ず来ます。たくさんぶつかることが大事です。ちょこっとぶつかっただけだと意味がないですが、本気でチャレンジしぶつかれば本当に力になります。人は行動するために生きているのですから。

震災後は特にそういう気持ちが大事です。新しいこと、今までと違うことにアンテナはって、これって決めたらやるしか道はないんです。

時代は変わってもお客様が美味しい物を食べたいっていう欲求は変わらない。

これからの課題は泳ぐホタテをいかに時代にマッチさせるかということです。時代にあわせた戦略は大事ですが、他と同じような戦略だと失敗します。
他よりも違う方法を自分達の頭で考えての結果であれば、成功しても失敗しても、次の戦略の糧になります。
昔は他のマネをしても5年は保ちましたが、今は1年も保ちません。今までと違うことにチャレンジするには、資金をかけても時間かけてもいいから、入口だけじゃなくて、奥の奥までやることが必要です。それで失敗しても学ぶことは絶対にあります。

時代は変わってもお客様が美味しい物を食べたいっていう欲求は変わりません。
誤魔化す、裏切る、いい商品対して自分達が向き合ってきたことを壊すっていうのが1番やってはいけないことなんです。それをやったら終わります。
どんな状況でも、苦しい時でも目先の利益にこだわらず、「お客様にいいものを」って言う気持ちが変わらないことが大事です。そこの大事な中柱っていうか本質を大事に守っていかなければなりません。

心のこもってない100個よりも心をこめた1個が大切。結局それが1番の近道なんですよ。

10個20個売るってことよりも、ギフト1個でもお客様のことを考えて大切に送ることが大切です。それの積み重ねしかないからです。
泳ぐホタテが一人歩きして、お客様に愛されてくれるような商品やサービスにしないといけません。その商品ひとつひとつが広告塔としての価値がないと意味がないのです。それにはいい商品ということが絶対条件なんです。

心のこもってない100個よりも心をこめた1個が大事。地道にコツコツやるしか近道はありません。一見遠回りのようですが、結局それが1番の近道なんですよ。

息子達には「繁忙期じゃないときでも、1個を丁寧に売りなさい」と伝えています。泳ぐホタテを知らない方は、世の中にヤマのようにいるわけです。その1個を大切にしないと知らない人に届きようもないですから。

本当の帆立の美味しさを知って欲しい。

泳ぐホタテの鮮度は氷敷きの「鮮ホタテ」と全く異なります。お刺身で食べると明らかに違います。スーパーに並んでいるホタテしか食べたことのない方は、味の違いにまず驚かれます。浜から採れたばかりのホタテも美味しいですが、当社は専用のイケスでホタテを泳がせてから出荷しています。ホタテの内部の汚れや雑味が取り除かれ、浜から揚がって2日程度のホタテは、採れたてのホタテよりも美味しくなるんです。

お客様が当社にお越しになって、イケスのホタテを試食してもらうのですが、「こんなに美味しいホタテは食べたことがない」と皆さんおっしゃります。
「こんなに美味しいホタテが食卓に届くんですよ、ぜひこんなに美味しいホタテがあることを知っておいてください」と伝えると何度も注文してくれます。ありがたいことです。

今までのお客様にはこれまで通り、美味しい帆立をいつでも食べていただいていけるように、裏切らない商売をしていく使命があります。そしてこんなに美味しい帆立があるんだってことを知らない方には、もっと知って欲しいです。
三陸の海が香る帆立を食べてもらって、本当の帆立の美味しさを知って欲しいと思ってます。

社長が苦労して生み出した泳ぐホタテの詳しい内容・ご注文は「泳ぐホタテ 商品紹介」をご覧下さい。

泳ぐホタテの商品詳細はこちらです。

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